唯野人間

わたしはいわゆるノンセクシャルってやつで

というか捉えようによってはアセクシャルってことにもなって

というのも恋愛感情というのは性愛ありきであるという幅を利かせた考え方があり

それを採用するならばアセクシャルということになるっていう話であり

わたしとしては

恋愛感情と性愛は全くの別モノ(オプション的にある人にはある)という考えなので。

恋愛感情についても怪しい部分はある。

自分内では親愛や敬愛に近い説もある。

じゃあ性別関係なくってこと?と思うかもだけど

恋愛感情らしきものは同性には抱かないので、

もうそこだけで恋愛感情は親愛敬愛のそれとは別箇じゃんと思ってる。(私の中では)

どうであれ、特別な感情ではあるとはおもう。(代えのきかないスペシャルワン)

まぁなんでもいいんだけど。

で、

そういうひとたちってのは周りには中々いないもんで

(いたとして表明していない(する必要もない)のが大半だろうし)

なんで、ついったでそれ系垢を作って情報というか、

いわゆるアセク関係な人々の考えだとか思想を眺めたりしてるんだけど、

そこで結構よく見るのが

マイノリティではなくマジョリティ側でありたかったとかいうやつ。

「マジョリティだったら~」とかなんか言ってるやつ。

みんな(多くのひと)ともっと共感したいし

マジョリティであれば生きやすかったとか

世間が良いとする生き方と乖離しないでいられたとか

そういうことらしい。

なんだかそういうの見てしまうと吐き気がする。した。

分け隔てる道しか考えられないのか

多数派であれば安心なのか

一部の特性でひとをじぶんを人生のいろいろを判断する、できるものなのか

とか、とか、とか、

まぁ自由なんだけどさ。

目がどこに向いてるかって話でしかないのかもしれんけど。

 

わたし的には

「どちらか」だとかそういうんじゃなくて

ひとってのは多面体で

持ち寄りの特性ひとつひとつが個々に違うんだからどうだっていいじゃないかと。

多数派か少数派かとかより

自分の本音、心根、核心を感じられればそれでいいな。

核心ってイコールで有無を言わさず確信なんだよな。

確信→核心 ではないけど。

各々の、核心以上に確かなものなんてたぶんない。